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会社案内 -- --

沿革
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信南交通とは 会社概要
沿革 社会貢献
運輸安全マネジメント 個人情報保護方針
採用情報
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平成24年2月 2社合併

信南交通株式会社と信南観光株式会社が合併し、信南交通株式会社となる。
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平成23年10月 飯田駅前発券所新設

飯田商工会館取壊による飯田バスセンター廃止に伴い、飯田駅前発券所を新設。
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平成23年9月 貸切バス事業者安全性評価認定制度取得

貸切バスを安全に運行している事業者として認定を受ける。
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平成22年4月 乗合路線バス、周辺自治体より委託を受けて運行開始

自主路線を全て廃止する。
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平成21年11月 グリーン経営認証取得

環境保全活動に取り組む。
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平成18年12月 プライバシーマーク認証取得

個人情報保護に取り組む。
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平成18年3月 ISO認証取得

品質マネジメントシステム(ISO9001)をスタートする。
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平成17年2月 エアポートリムジン

中部国際空港開港に伴い、名古屋空港から新空港へ継続運行する。
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平成15年10月 2社合併

信南交通株式会社と信南観光バス株式会社が合併し、信南交通株式会社となる。
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平成15年4月 「はーとべるツアー」設立

新たに「はーとべるツアー」をスタートする。貸切バス事業から観光事業への一歩。
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平成15年3月 「しんなん友の会」解散
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平成14年7月 貸切バス受注センター開設

信南観光バス株式会社と共同で貸切バスの受注センターを開設。
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平成14年1月 いいなかライナーから撤退 信南交通は撤退
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平成11年12月 中島清社長は相談役となり、中島一夫社長に就任
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平成10年5月 いいなかライナー(中津川線)運行開始

ジェイアール東海バスと飯田駅前〜中津川駅前までの運行を開始する。
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平成10年2月 市民バス運行開始

従来より運行していた千代線、久堅線、大休線を飯田市に委託し、小型バスによる市民バスが誕生した。
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平成05年3月 みすずハイウエイバス長野線路線変更

長野高速自動車道全通に伴いみすずハイウエイバス(みすず急行)の路線を変更。
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平成05年2月 情報システム部設立

コンピュータ機器販売を目的に設立。
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平成03年6月 大阪線運行開始

伊那バス、阪急バスと3社で共同運行開始。
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平成02年12月 横浜線運行開始

京浜急行と2社で共同運行開始。
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昭和63年9月 みすずハイウエイバス長野線運行再開

長野自動車道が岡谷ジャンクションを起点に豊科インターまで開通したのを契機に昭和53年より運休していたみすず急行長野線を改称して、運行再開した。全通までは豊科から長野まで旧来の国道19号線を運行した。
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昭和61年11月 中島咸人社長は会長となり、中島清社長に就任
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昭和60年5月 本社移転

飯田商工会議所1Fより大通(現在)へ移転する。
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昭和60年3月 信南観光バス株式会社設立

中島咸人社長就任。
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昭和59年12月 新宿線運行開始

京王電鉄バス株式会社、伊那バス株式会社、諏訪バス株式会社、富士急行株式会社、山梨交通株式会社と6社で共同運行開始。
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昭和53年4月 中島巌社長辞任、長男中島咸人社長就任
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昭和53年3月 みすず急行運行休止

昭和44年以降、度重なる運賃値上げを行ったことと、マイカー激増に伴い、旅客は塩尻までマイカーで行き、そこから特急電車に乗り換える方法に移行してしまい、みすず急行の利用者が激減してしまった事が主な理由。
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昭和51年5月 名古屋〜伊那線開始

名古屋鉄道、伊那バスと3社で伊那市〜名古屋までの高速バス運行開始。
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昭和50年8月 名古屋線高速バス開始

中央高速道路が小牧〜駒ヶ根間で併用開始となり、国道153号線で共同運行していた名古屋鉄道と協議し、新たな高速バス路線とすることになった。親しまれた名飯バスは約40年で廃止となった。
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昭和49年10月 恵那山トンネル開通
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昭和42年4月 百貨店開店

銀座の本社跡地に信南銀座ビル百貨店開店(従業員80人で開店したがおよそ6ヶ月で売却した)
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昭和42年4月 本社移転

銀座4丁目から飯田商工会議所1Fへ移転
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昭和34年5月 飯田ヂーゼル株式会社設立

信南交通株式会社整備部門が分離独立し、社長に中島巌就任
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昭和30年4月 信南観光株式会社設立

中島巌社長就任
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昭和27年7月 名古屋・飯田線開始

昭和12年5月に国道153号線を南信自動車株式会社が名古屋鉄道株式会社と協定運行していたが戦争の為運休していたものを、信南交通株式会社として協定しなおしたもの。
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昭和26年3月 みすず急行運行開始

伊那自動車株式会社、松本電鉄株式会社、川中島自動車株式会社と弊社の4社で共同運行開始(179.4kmを5時間40分で一般道を運行した)
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昭和24年2月 会社の分離独立

昭和20年に合併した伊那自動車(現在の伊那バス)、御嶽自動車商会が分離独立。2代目社長に中島巌就任
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昭和21年1月 信南交通労働組合結成
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昭和20年6月 信南交通株式会社設立

伊那自動車株式会社、南信自動車株式会社、大平自動車株式会社、御獄自動車株式会社が戦時統合の方針に基づき合併、信南交通株式会社が設立され初代社長には小野秀一が就任

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当社は、戦時下のバス事業統合という政府方針により、県内5地域の一つ南信地区の会社として統合し誕生しました。前身の会社は「伊那自動車」「御嶽自動車商会」「南信自動車」「大平自動車」の4社が統合され「信南交通株式会社」となりました。車両数はバス65両、ハイヤー9両、本社は銀座4丁目初代社長は小野秀一氏その後、昭和24年中島巌氏が二代社長に就任しました。統合当時の経営の状態はというと、戦時中という事もありガソリン等は厳しい制限があり手に入らず、代燃車用の薪炭さえ厳しく制限され、若者は軍や兵器工場に徴用されて労働力不足で四苦八苦していました。この頃の路線は、駒場・千代・阿島・大島・根羽へ一日一往復が限界であったようです。設立後2ヶ月で終戦を迎えました。



戦後まもなく一旦統合された会社が分離し「伊那自動車」(現在の伊那バス)「御嶽自動車」(現在のおんたけ交通)「信南交通」の三社になりました。戦後復興と共に路線バスの全盛期を迎え昭和27年には38路線、車両は40両、社員150名と発展し、更に30年後半に向けて拡大を続け最大44路線・59系統を運行しました。トヨタ製のボンネットバスは常に満員で車掌は車からはみ出て乗務するのが常であった様子です。その後、長距離路線も開始され、長野へ向かう「みすず急行」や根羽経由3時間45分で運行する「名飯急行」の運行も開始され現在の高速バスの前身となりました。30年代に入り高度経済成長と伴に貸切バス事業を展開・発展して行きました。観光用車両への投資・バスガイドの養成を行い、地元のお客様を中心として、全国の観光各地への旅行要望にお答えするようになりました。今回のチョロQバスは昭和30年代前期に路線バスとして活躍 していたバスです。



昭和42年本社を銀座から常磐町商工会館内へ移しました。人口の過疎化や自家用車の普及が進んで、不採算の地域は路線廃止を余儀なくされ、経営の合理化が進みました。逆に国内観光開発の進行と伴に団体旅行の需要が多くなり、貸切バス事業へと主力を移していきました。



高速道路の延伸と伴に、長距離高速バスの運行が開始され、51年名飯線も高速道路開通と伴に一般道から高速経由になりました。59年には、長年にわたり調整をして来た新宿線が開通となり、予想を上回るお客様が利用していただき、飯田・下伊那と首都圏を結ぶ足として現在も定着しています。



昭和63年休止していた「みすず急行長野行き」が復活し、豊科ICまで高速経由で運行を開始した。これにより、中京・関東・長野への便利で早くて安い交通手段を確立し、飯田下伊那からの足を確保する事になり現在の高速バス事業の基礎を固め更に、大阪・横浜へも路線開設する事により、お客様の数は増加し、各路線の便数も着実に増加してゆきました。新たな事業として、旅館・ホテル向けの総合コンピュータソフトの開発販売を開始し、全国各地のお客様にご利用いだくまでに発展してきました。路線バスは新たな展開を模索する中で、「市民バス」の誕生を迎えた、不採算の路線を新たな方法で存続し、新しい路線(循環線)を市民の声を聞きながら作るようになりました。観光事業では、規制緩和政策が実行され、新たな観光バス事業者の進出による様々な問題が発生する中、別会社であった「信南観光バス」と合併をしました。(参考資料:【信南交通50年の歩み】)
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